食べることと音楽を聴くことと音楽をすること

食べるということはだれかが作ったものを食べるものであり、音楽を聴くことはだれかが作ってるものを聴くことであり、だからコレら二つはパラレルなんだという考え方がある。でも西洋料理を食べるのは西洋音楽を聴くのと同じなのだろうか?今テレビではN響シュトラウスの薔薇の騎士の管弦楽部分を西洋の人ではなさそうな名前の指揮者で演っている。

でも、それはひどくなんというかぎこちなく感じてしまう。音楽的部分なのかどうかは分からないが、何かを模倣してるだけで、巧みなんだろうが料理に例えれば決して美味しくは感じられない。日本の料理があって西洋料理が併存してある。でも音楽の世界は西洋音楽はあるけれど、それに併存する形で日本の音楽はない。既にないというか、もうないというか、あっても併存なんかしてない。

むしろ今は西洋の音楽がクラシックのみならず全ての分野で浸透しているのに、それを演奏してる人はいるのに、少なくともクラシックのプレーヤーはいるけどあまり心に与えるものがない。

それは我々のリズムは西洋音楽ではできてないとこもあるきがする。聖書がわかる人はたくさんいるけど、だからと言ってキリスト教にみんながならなかったように、多分西洋音楽の良さがわかっても、だからと言って西洋音楽が我々の音楽ではない。作曲家にしても西洋音楽史に名を連ねる人は皆無である。私はクラシックがいいと思うけど、日本人演奏家のクラシック演奏やはり限界があると思う。