政治責任というものはなんなんだ。

今んとこ、佐川さんの刑事訴追を受ける可能性があることを理由とする答弁できないとすることは許容される。いやそれは許容されないのだという考えもあるがその点しかとは言えない。それでは検察の任意捜査を経て逮捕を含む強制捜査もなされない、結果背任及び虚偽公文書作成罪も立件困難だとして(キキ程度ではインパクトない)は起訴されないとしたら、当然捜査段階の調書は明るみに出ることもなく「誰が誰にそして誰がそれをした構造」は国民からは分からないことになる。コレに加えて財務省内部の調査がなされてるが、これも佐川がどうした、どういう会議が行われたか、そこになんという政治家が現れなんと具体的に言ったかが出てこないとなると先の国民の疑問は解消されないこととなる。

この結果については、色んな見方ができる。親しむ右の人は犯罪はなされなかったんだから、現政権に瑕疵はない、今後再発しないように改めれば良いと当然言うのだろう。親しむ左の人は証拠がなかったから現政権は生き残っただけだと、政権の正当性を問うであろう。

今の世の中、不正というものが見つけにくくなっていて、不正という概念が曖昧である。ある人からすれば正義と不正義の中間部分が曖昧で広くも狭くもあり、その広狭の差で、意見が分かれ、それを統一する基準などないとになる。

これを人間の悪の問題として捉えて、人をその様に追い込んだ者は結果として、具体的意図がなくても己の権威権力を行使責任を追うべきだという考えがあるが、やはり一般的ではないだろう。

やはりここは組織と個人という視点がなければ解決つかない問題だと思う。集団の責任が出てこなければ解決つかぬ問題なのだと思う。それは戦争責任と同類の問題である。