生きるのは死んでいるに近く、そうかと死んでいるのかなは生きるののに近い

欲望というのは良くできてる。いわゆる我欲だ。どの方面の我欲であろうと生きる直接の意思ばかりでないだろうが間接的にアレやりたかった、やってる途中だったというところある。本人は生きようと、まだ死なないと思ってたと思うよ、とテレビ番組で刑事さんみたいの言うときがあるけど、ソレも多分あるんだろうが、それは突然死の場合。通常はポイと欲さらけ出し、その満足で生きてる、生存を確認してる自覚してる。欲=意思=生きる、となっている。それはどこか主観的なんだけど他者が例えばよく行く牛タン屋の焼き手が違う、段々弱ってきたなと見るかとは別個なんだけど、でもそういう他者の視線は無視されたところで、自分内で今生きてるんやろうか、このまま死へ赴くのか、の行く先場所の揉め具合いを感ずる事がある。それは薬の影響下であろうと思う、要するに意思が不鮮明朴鮮明ならコレはまぁボケみたいなもんだから生きてるんだか死んでいるんだかわからなくなっちゃうンだな。