大森さんてきまず存在してるもの

改めて読むと私のことしか書かれてない気がするので捕捉する。まず存在というのは二本足立ちした人間としての存在ではない。産まれたとき死んでいくと同じく横たわっている状態としての存在である。動きができない状態、或いは横たわりつつ動こうとしている状態である。端的な場合として病気になり立ち往生し倒れた状態といっていい。そんな風な存在としての自分である。立ち直れるかはたまたそのままもっと横たわるかのような自分の状態である。これとこの状態の自分というのと私とは違う。横たわっている自分は他人が認知している私とは重なっていない。私というのは外郭であり外覚であり、自分というのは内郭であり内覚である。本来持っているそれをトウギョする能力を失った状態になった自己ということである。