決然といきることについて

今日例えばアマゾンに注文する。それが一週間程度で届く。その間に周囲や自分がどうなってるか分からないけど、その一週間というものについて自分はそれをがっしり信頼している。明日かとか明後日とかでなく、その注文決済配送到着までを信じて、そのものが到達したときの自分の変化或いは喜びを受け止めるべく自分は行動している。或いはその間に持病があり悪い事態になるとかアクシデントに巻き込まれてその受け取り時点で受け取り人として立ち居振る舞い出来なくなったとしても単なる確率論を超えて少なくとも注文した時点での確信とかの心的作用は決して自分を偽らないし凛孤として存在し持続してる。外形的変化がどうであれ自分の内心は決して壊れるものではない。それこそ生きてるというそのものだろ。それに加えて、注文からの受取までの流れの中で今の自分はそのままの何の変化もなく、成長も退廃もなくそのまんまであるとも確信してる。逆にモノを将来に設定することは、そのものに囚われて自分の今をクリップかなにかで固定することになる。何もかも自由ではない。持続させるためにこそある行為の中で自分を留めなヶれはならず、その将来に身を託すためにこそ今の自分に為すことを課さねばならない。