ある意味東京裁判風

今回の一連の執行は幹部らにも及んでいた。時の是非は分からないが報道から覚めてみると、最期まで真実を語らない頭領と友寝した若っかき幹部らはその所業に沿って刑を執行されたのだと誰しも思ってる。原因は頭領の頭の中の反国家妄想であってその倒躁した過激性、特に科学兵器の躊躇ない使用は極非難に値するものと処理された。我々が支持した一連の裁判は裁判員制度前のもので、極めてプロによる厳格なものであり判決文は厳粛性すら帯びる。我々はそれを支持した、他に何があるのだ。しかし刑の執行まで見届けるとこれ等はみな嘗ての東京裁判の焼き写しなのではないかというようにも見えてくる。われわれは連合国側だ。井上だけ本当の刑事プロ弁護により一審無期だったがそれも控訴審で是正された。今も一人無期の人がいるが、全員小菅の拘置所の露と消えたA扱戦犯と同様その近くで執行された。どこかしら似ている。まあ今回は天皇陛下のような人まで最悪者として処理、そこが少し違うかもしれない。我々は暴走していない。彼らが暴走したのだ。それはどこまでも正しい。理不尽なのは教団なのだ。彼らは宗教団体ではない殺人集団なのだ。それらも正しいのだろうが、しかしこれ等は東京裁判の模倣でもあることも恐らく正しいんだろう。圧倒的権力をもってしても他人を死刑にして裁き切ることはやはり人智を越える。麻原は見越して天皇となりあわよくばキリストに成りたかったのではないのか。それはくい止められなければならない。非常に物理的処理は執行までで、その先は精神的な闘争なのだ。コレに失敗すると同じような事件が起きる。なんせ宗教犯罪なんだから。別の一派も対立を仮装してるのかもしれない。