子どもの推理力

ある公共施設のプールに行った。そこには一週間まえにも行った。行った時、多分爪切りがあったので水泳の前に爪を切ったのだと思う。その一週間後の時も、ほぼ同じロッカーを使った。水泳終わってロッカーに戻って来たとき、子どもが何名かいた。その内の一人の子がだれかの爪を見つけた。その時の反応がどういうものかは思い出せない。でもその子でない子が「おじさん爪を切りませんでした」と聞いてきた。あの一週間前の時分の爪なんだろうか?よくわからなかった。でもその可能性はあった。いや、と答えたのはどういう理由か。でもほとんどの人は仮にそうでも置かれっぱなしなのは掃除が悪いこともあるから自分の関与を否定するだろう。認めてゴメンゴメンもおかしいし…でも今日もいって少し考えてみると、確かにその子が犯人は私でないかと推理したのは、ほとんど鋭い。というか、実はどんな人も子どもの頃は、原因結果などの因果リツでなく、相当な確信で人の行為を推理してたような気がする。自分もそうだった気がする。あれは絶対コレというのを武器、いやそれしかない能力として持ち、其を頼りに生きていた気がする。名探偵コナンは大人が変身か溶身かなにかして子どもになったんだろうけど、名探偵コナンのけた外れた推理力は子どもになったればこそ身に付いたのではないだろうか。子どもの確信は恐れるに足る。子どもは多分研ぎ澄まされた推理力であなたをこうだと判断してると思う。決して未熟者ではない。