最初の所有権

原始共産制などは架空のことと通説はそうなっている。共産というのは私有の反対概念だからまずわれわれは自分の所有権を主張したはずであるし、その先に共産化が来るのであって、最初から人々はおずおずと物や価値に対して権利を放棄するはずなどありえないのだからとまことしやかな説明が付される。でも本当に我々は最初から欲と権力でモノを所有したいと願ったのだろうか?

私は、モノを持っていても最早しょうがないんだよと思える時点があるように、一等最初光が自分に差し掛かかって来るとき、なんかそうだな、モノの所有という意欲が湧いてこない時節が自分の体験であったような気がする。所有というのはいわば今後の生活の安定が見渡されるから生じる観念であって本当は誰しもまず生きなきゃならんという時は、所有というのを全く考えなしないのでないかと思い始めている。