人は最期に掃除して人生と別れる

なんでなんだろね、こうも幾つもの孤独死の死体現場に遭遇すると、よくこんなに汚く部屋をしちまった状態で男や女は死んでくもんだと思わざるを得ない。そういうアパートの管理人をしてたことがある。十戸行くかどうかの安アパート、みんな独身者ばかりだった。部屋がりを嫌うのは、プライバシー空間を最後まで求めたいんだろうなと思う。彼ら彼女らの半分は生活保護者だけどみんな一応は日本人だった。酒とかのトラブルを起こす人はまれ。決してなげやりな人生ではなかった。特に女性はある日かいつの間にかか分からないけど失楽園状態になる。そこで昔の想い出が蘇りよく私に話しかけた。病気の話であったり信じてた宗教や男からの逃げ、子どもがいないことが何の支えにもならないと同じ意味だと知った。小さい頃両親のどちらからか苛められたという気置く者も多かった。ソシテ人より早い病との遭遇。残るかねと残る命との競争。早くなくなって大家に金を残すような遺言書書いてる人もいた。どうせなら腹の背で笑ってるあんな人たちより俺に遺してくれたら立派に葬儀もあげてあげて最後の有終の美?を飾ることもできたろうにとも思うけど、雇われのみだか仕方ない。最後にご遺体を処理するのは僕なんですけどというところに男も女も気が回らないらしい。そうして必ず部屋は散らかり放題だった。最後の情景が浮かばない、人間はそうして死んでくものであり、綺麗な中に清らかな自分の身体をと思わない。死ぬと定まったら最早周囲への関心は20%くらいしかなくなる。そうして片付けようなどといいうことは考えもしない。汚れた部屋の汚れた自分の身体で人生もうオッケイなんだね。だから言いたい、死ぬだろなと思ったら、まず部屋を掃除すること。そうしたら気分もよくなるし、空気もよくなって健康にもよい。案外それだけで三ヶ月間生存猶予されるかもしれない。でもしないね。そうでなくってしようよ。変な気分のと気はまず掃除すること。