50年前の自分論について1

今で67で今から振り返る50年前の自分というのを考えて見ると実はちっとも変わっていない自分だったという気が凄く強く沸いて来てしまう。自分は50年前と何も変わっていない。直ぐに学校に行きなと言われてもどこの学校かはともかくハイと言って学ラン来て出掛けかねない。今好きなこと恋愛しろと言われても相手の反応考慮するから即反出来ないけどその若さが無いとは言いきれない。性交尉は犯罪だからしないだけで恋愛とかいうものならやりかねない。それは過去れ戻るということでなく永遠にやりかねない、そうした人間としての自分が今ここにいるということである。世間では性の同一性とか言い出してるけど時間の同一性という結構ヤバい、でも本質的なことに人々が気が付き始めてる。アイドルの追っかけ者はアイドル年取っても永遠に追っかけ者であって、自分は自分の年齢を重ねないことにきっと言い知れぬ喜び(快感かな)きっと感じてると思う。しかしそういうきっかけがなくたって人間の存在は50年前も今も変わらぬということがある、というか本質的にその人は青春の時代に生きているのが人間の属性なのだと僕は言う。だからハイデガーは完全に間違っている。その存在論は嘘である。そこらへん切り取って書いていこうかな~。