おじさんの罵言

それなりに社会的系列ではそこそこの地位を占めていたと思う。大学とか資格とか決して悪くはなかった。そういう座を占めるのは時間がかかった。おじさんは父の弟だった。明治の専門部だった。郷里に戻ってきて自転車屋をしていた。そのおじさんには二人の娘がいた。父には私含めて四人の男の子だった。みんないわば一流の大学に入ったり卒業したりして、まあまあの企業に就職していた。私の資格取りは結構時間を要した。父の次を追う資格だった。めでたく合格して、郷里でその時はもう自転車屋の足を洗い、別の稼業であった代々の料理屋の主となったそのお店で親子何人かで食事となった。その時にはもう母もなくなっていた。食事が終わる頃おじさんが個室に入ってきた。酔っ払っていた。おじさんは「おめでとう」という代わりに「このばか野郎」と私に向けて怒鳴った。父は色をなして、何をいってるのだと喰ってかかるようにした。そこに兄弟の別の親戚もいたのでおじさんはそれらの人に抱き抱えられるように部屋から出ていった。父は私を慰めるような言葉を何か言ったような気がする。当時はおじさんは嫉妬みたいなものがあるのかなと思った。代々うちの子が出来すぎることに何らかの気持ちがあるんだろうと思ってた。今最近少しその考えが変わった。父もおじさんももういない。それから結婚し二人の男が生まれた。親になったのだ。おじさんの気持ちの大半は前述の通りで間違いないんだろうが、しかしそこには子が親に対して持つ甘えへの警告があった気がする。知らず知らず甘えていたのかもしれないと思う。親にまかせていて勝手なことをしていたのかもしれない。そんな自分だったのかもしれない。それに我慢ならぬ何かを持っていた。自分らの子育てと違っておおアマな親子関係、他人からそう見えたのだろうしそれはあたっている。それを許したのは父の姿勢であり、そしてまた父の努力である。その努力、親としての感情の上にあぐらをかいている自分に対して、その座から振るい落とそうとする警告ではなかったのか。もう両者もいない。これからそのあとをいつか追う。おじさんとかが出てくる幕はないし、自分の場合も自分の息子らにそういう事をいうひとは出てこない。いや今の時代は親戚の子がおじさんと向き合うこともない時代だろう。未だに気にかかる罵声、罵言である。