作曲家河合奈保子について

2曲ある最初の曲はハーフタイムセレナーデとかいうらしいマイナーモードの曲、それと繋がってこれもマイナーで、今宣言するマイラブあなたとかの歌詞。これらの歌詞の世界が河合奈保子の全体像の何分の一なのかわからない。でもおれにとっては他の暖かい歌は、それほど興味が湧かない。竹内まりやのケンカをやめてというのも歌ってるがわざわざ歌うべき歌だとも思わない。河合奈保子の時代性というのはそのマイナーの歌詞と作曲の部分にあると思っている。表面的な温かさではなく微妙に傷つく女心の部分がとっても引っ掛かる。そうしてその部分については河合奈保子も創造に関与している。そのムードを歌歌いとしてでなく作っていたのが河合奈保子なのだ。その時代に反応して河合奈保子のある部分が露呈しているのだ。だから歌を論じることは河合奈保子を論ずるとも言える。例えば神田川という曲を南こうせつは歌ってるが、その曲の喜多条まことの歌詞に歌をつけたのが南こうせつならば、同じように河合奈保子は時代を感じてサッキしている。ハーフタイムセレナーデというのは河合が作った自分の世界を歌った歌なのだ。その重みを歌う声のなかに感じる。それが人々の、少なくとも同じ時代の子を撃つ。その全体がある大きさをもって私に何かを感じさせる、それは一体何かというと、当時の捧げ処女性なんだけど、古くさいながらその以前とは異なる男女の付き合いなのだ。その部分を分析しなくてはならない。