大阪というところ1

大阪人の依頼人がいたから昔から何となく大阪に関心がある。随分とまえ京都にいたときは大阪は近いけどちょくちょくとは行かなかった。大阪人と知り合う前の大阪への関心というのは歴史とかなんでもなく、昔見たNHKのテレビドラマ「けったいな人たち」その高森やすことかの俳優演ずる道修町とかの名称、その大阪商人のがめつさ、しっかりもの具合への非日本人、現日本人への関心程度しかのレベルだった。今回もうその依頼人も札幌でなくなり、伝も無いわけだけど、その後の新規開拓した「春駒寿司」とか毎回行くところを巡る、まぁ年にさん四回はいく関西方面個人ツアーのほんの一部として大阪によるというそんなところの中身の一つでしかない。まぁそうでもないか、昔ある雑誌の案内で何回か通った太助とかがミシュラン三ツ星になっていてその前を通りたかったとか依頼人の実家のあった(結局その売り家の手伝いをしたわけだが)京橋の串おでんの庶民名店にも立ち寄りたかったとかはあるんだろうかな。でもそれなくても構わない。それで一泊だけした。春駒よった。他は行かなかった。目についた最大のことはやはり大阪地下鉄のひどさ、無惨さ、それが一番感ぜられた。その点を次回に書こうか。でも一泊ホテルに入る前の伊丹っていい街だな、つくづく感じた。本体よっかいい。単純に大阪をこけにできない。でも大阪都構想の裏には大阪市地下鉄の問題あるんだなと薄々感じたよ。その付けを大阪府民は都民とでっかくなった錯覚で払わせられんだな、それほど大阪市地下鉄は死に絶えている。そう見えた。