島倉千代子のからたちソング1

島倉千代子がその生涯でレコーディングした曲は1,500曲を数えるそうだ。中でからたち日記は初期の名曲であろうか。そしてからたちの小路は最後のレコーディング曲となった。死の何日か前、衰弱した身体をベッドに横たえながら自宅に録音器材を持ち込んで吹き込まれた歌は文字通り白鳥の歌となる。絶唱では声はもうでず、かすれてる。そんなことプロだから分かってる。でも島倉千代子はプロフェッショナルだからこそ最後の自分の声を残そうとしたのである。念頭には尊敬する美空ひばりへの同じ歌手としてのリスペクトと共存する心の張りもある。だから女歌手というのは怖い。持っている天性としての声をその溜めたチューブを最後の一滴まで絞り出そうとするから怖い。実際この歌声を聴くと退くというか居たたまれなくなる。あの全盛時の声との落差に逃げ出したくなる、耳を覆いたくなる。あの「ひろしまの母」の毅然とした声はどこへ行ったの、そうした気持ちの中にこの歌手の死に立ち合ってるような変な妙気分になってくる。この歌作ったのは作詞喜多条誠であり作曲南こうせつであるから神田川コンビである。そこら辺も痛い。島倉さんが指名したその辺もまぁプロとはいえ新鮮みがあるはと目したんだろうがその素人性が深く最後に悪い意味でなく傷つける。声と歌詞の両面で印象があっ結局死んで行くのかに収斂していく。だから聞ける、覚悟したらいい曲なんだと思える。その歌を最近城之内早苗がカバーしている。そう字義通り島倉千代子が本来歌いたかったスケールをこの曲に与える歌い方で立派に歌う。城之内早苗は所々島倉千代子の歌い方に似せてるのは多分彼女のなかに島倉にたいする尊敬があるんだろ。私の方が上手いなんてことではもちろんないんだろ。この曲は本当はいい歌なのになんて気は毛頭ない。その歌声を聞いてるとその歌詞が島倉千代子の人生をなぞってたのがわかりかけてきた。隠された「からたち」の意味が顕になって聞こえてきた。喜多条やるな!の気にさせられた。それは次回に(それがあったら)書こうか。